吉田東洋(田中泯)
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吉田東洋(田中泯)
1816年生 
1862年5月6日没
土佐藩馬廻役吉田光四郎正清の四男
通称は官兵衛で東洋は号
1841年に家督を相続
藩主山内豊熙の進める藩政改革に取り組む
藩主山内豊信に代わっても起用され、富国強兵論などを主張した藩政改革を行う
途中、免職時に私塾である「少林塾」を開き身分に関係なく多くの若者たちに、南学(土佐で生まれた朱子学)の講義をほどこす
「少林塾」には、岩崎弥太郎が門下生にいるほか、数多くの偉人が誕生することとなった
復職後は反対派であった、尊皇攘夷派の土佐勤王党が台頭して東洋と激しく対立した
その後、土佐勤王党の志士である、那須信吾、大石団蔵、安岡嘉助により暗殺される

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